誰も食べたことがなかった「培養肉」を社会実装せよ
細胞から肉をつくる技術は2015年にはすでに存在した。それでも、食べる人がいない。資金、倫理、規制、市場という壁を、任意団体と会社という二つの器で越えていった10年の記録。
細胞を増やして肉をつくる。技術としては2015年でも成立していた。それでも2026年のいま、細胞からつくった肉を食べた人は、日本にはほとんどいない。技術があって、食べる人がいない。その間には多くの壁が立ち塞がっている。有望な市場など姿形もなかった。
「培養肉」が向き合った”死の谷”
それでも、2015年2月ごろ、羽生雄毅氏とリバネスの篠澤裕介は、in vitro meatすなわち、培養食肉の議論している。当時の篠澤のメモに残るのは、当時としては画期的であった培養コストの低減策であった。血清由来の動物倫理と安全性、味や形状をどう作るのか。どれも未解決で、当時のメモはこの手前の領域を「死の谷」と書いている。食品としては絶望的なほど未知なことが多い。まず、美味いのか。そしてコストはどうなるのか。その他、製造装置、調理方法、量産する工場、食品としての安全性、値段のつく用途、資金の出し手、制度と社会の受け入れ。課題は挙がり放題だった。
だから羽生氏が最初に手をつけたのは、肉の形ではない。培養液のコスト問題であった。安くつくり、動物由来成分を置き換え、培養条件を組み直す。培養肉の最初の壁を「培養液のコスト問題の解決」とした。

任意団体Shojinmeatの発信と、会社の発足が、仲間を集めた
羽生氏は、培養液コスト問題の解決方法を、研究者コミュニティのCo-Labで出会った川島氏と練り上げていた。しかし羽生氏は当時はいわゆるニートであり、実験ラボもない、専従の研究者も当然いない、という状況だった。篠澤が二人と話し始めたのは、2015年のバイオサイエンスグランプリのあとだった。二人はファイナリストに選ばれなかった。篠澤氏はアグリサイエンスグランプリへの挑戦を勧め、プレゼンの後にはサイエンスCG塾を共同で開いた。

羽生氏はこのころ2つの団体を旗揚げする。任意団体Shojinmeat Projectとインテグリカルチャーだ。Shojinmeat Projectは、「オープンソース培養肉」を標榜し、培養の知識と装置と実験の手順を研究室の外へ開いた。羽生氏は学んだ内容を本やスライドにして公開した。一方、インテグリカルチャーは営利企業として「何はなくとも食っていく」ことをまず目指した。飯田橋のラボ利用が始まり、サイエンスCGを制作するSCIGRAと教室が事業になった。篠澤氏も羽生氏と教室に立った。またMEAT UPという「どなたでも参加可能なビジネス勉強会」も開催し、たくさんの企業の情報収集ニーズにも応えていった。
こうして、任意団体は発信し、人を呼ぶ。会社は開発し、資本を受ける。二つが並んだことで、集まってきた人に居場所ができた。
投資委員会で問われたのは、「工場」をつくれるかだけではなかった
2015年末には、特許取得と、グローカリンクからの初の資金調達を行なった。前代未聞の還流培養技術の実証ができたことで、外向けに発信する課題の形が変わることになる。培養する複数の細胞の組み合わせ、タンクの連結方法や液の循環のさせ方といったパラメータが登場する。細胞同士の相互作用を使うことは、従来の大量培養技術開発では注目されてこなかった。共同研究の提案にも弾みがついていた。
しかし、資金調達のほうが厄介だった。篠澤は2015年ごろから、グローカリンクの次は発足したてのリアルテックファンドへつなぐ構想を持っていた。それでも入れる時期を決めきれない。まだ早い。いや、今だ。という葛藤があった。待っていたのは技術の完成ではなく、経営チームの成熟である。早すぎる資本が入れば、技術より先に経営が追いつかなくなる。L VENTURESの15か条にある「ゆっくり急げ」は、この待ち方のことだ。
その結果、何度かのNEDOなどのグラント挑戦と不採択の経験を経て、2017年末から2018年春にかけて、調達量を増やす方針へ転じる。Beyond Next Venturesとリアルテックファンドが出資し、同じ時期にユーグレナも株主に入った。これらの投資委員会に並んだ問いは、目標原価が設備費込みで成立するか、食品としての安全性を説明できるか、といったものだった。だが、ここまでは工場の話である。問いはその先にもあった。誰が経営し、誰に売るのか。まだ売ってもいいかわからない”肉”しかやらないのか。

肉より先に、化粧品を売れ
培養肉を食べる習慣は、まだ世界の誰にもない。そして「食べさせてよい」という規制も日本にはなかった。ユーグレナ社は、食習慣がなかったミドリムシを売った、という意味で「先輩」として学ばせてもらっていた。ユーグレナが出していた方針は、「バイオマス5F」の考え方だった。同じ原料を食品、繊維、飼料、肥料、燃料と用途で並べ、単価の高い用途から社会に出す。原価が下がるにつれて、下の用途へ降りていく。
培養肉に当てはめれば、最初に出すのは肉ではない、ということになる。しかし、2015年以降の発足から「培養肉スタートアップ」として注目を集め、2019年には世界初となる「食べられる培養フォアグラ」の生産に成功と発表するなど、「肉」路線の活動で成果を出していきたい気持ちもあった。だが、COVID-19の大流行と混乱などもあり、食品事業は活動をセーブせざるを得なくなる。結果として、鶏卵由来の細胞培養エキスである化粧品原料「セラメント(CELLAMENT)」をもとにしたユーグレナの化粧品ブランドCONCは2022年に発売された。培養技術が最初に届いた消費者は、肉を買う人ではなく、化粧品を買う人だった。
この「食品の前に、コスメ事業を手がける」という細胞農業スタートアップは、世界でも珍しい。アメリカのMemphis Meats(2020年1月に1億6,100万ドルを調達)は、2021年に約5万3,000平方フィートの培養肉工場を開設し、フルスタック型で培養肉の製造へ乗り出していた。イスラエルのAleph Farmsも、2021年に1億500万ドルのシリーズBを調達し、工場設立へ乗り出していた。資金と人材と設備と技術を一社に集中させ、製品化に必要なコア技術を自社内に保持する垂直統合型が海外の主流だった。
その情報がありながら、インテグリカルチャーが選んだのは、Shojinmeat時代と変わらないオープンアーキテクチャであり、ユーグレナから学んだバイオマスの5Fに基づく収益体質だった。この姿勢が実を結び、インテグリカルチャーは2025年9月期に単年度黒字を達成した。売上は社会的インパクトの第一歩であり、利益は持続性の源泉だ。日本の規制整備が進み、細胞性食品が売れるようになる日も近づいている。
2015年には、死の谷を前にして目が眩むほど遠かった社会実装。いま、そこまで手が届きそうになっている。社会実装とは、正しい技術を見つけることだけでなく、誰とつなぐかを決め、つないだ後に残る壁を見つけ続けることではないだろうか。すでに10年の旅であったが、まだまだ先は長い。
(文 篠澤裕介)
登場人物
篠澤 裕介
「まるでSFの発想なのに、現実の産業が動き出すかも。という期待感がある一方で、本当に細胞でつくった食べ物が求められるようになるの?と懐疑的な人もたくさんいるとわかっていました。ここをブリッジできてこそ、サイエンスブリッジコミュニケーターだろう!と意気込んで取り組んできました」